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zoom RSS 「命の重さ」は変わる

<<   作成日時 : 2009/09/30 10:46   >>

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 『産経新聞』9月29日に、「長崎市長射殺、2審は無期懲役」という記事がある。

 長崎市のJR長崎駅前で平成19年4月、選挙運動中だった伊藤一長市長=当時(61)=を射殺したとして、殺人や公選法違反(選挙の自由妨害)などの罪に問われた元暴力団幹部、城尾哲弥被告(62)の控訴審判決公判が29日、福岡高裁で開かれた。松尾昭一裁判長は求刑通り死刑とした1審長崎地裁判決を破棄、無期懲役を言い渡した。金銭強奪目的などではなく、被害者が1人で、殺人罪の前科がない被告への死刑判決は異例で、弁護側が控訴。高裁の判断は、従来の量刑基準に沿うものとなった。

 昨年5月の1審判決は「自分の思い通りにならない行政への憤まんなどから暴挙に及んだ」と指摘。「民主主義を根幹から揺るがす犯行だ」と厳しく批判し、極刑を選択していた。

 判決によると、城尾被告は19年4月17日夜、長崎駅前の選挙事務所近くの歩道上で伊藤市長を至近距離から拳銃で2発撃ち、殺害した。


 この事件が発生した直後は、取り調べが始まっていないにもかかわらず、本島等元市長の銃撃事件と結びつけた報道や、「被爆地長崎」と「言論の自由」を結びつけた報道が相次いだことを覚えている。背景は市の対応への不満であり、思想的な背景の犯行ではなかったのはご存知の通りである。
 批判を承知で言えば、これが「被爆地長崎」の市長でなければ、これほど大騒ぎになることはなかったのでは、と考える。
 そして、もう一つ疑問に思うことがある。今回の事件の犯人は死刑は当たり前、という空気が広がっていた、ということである。光市母子殺害事件のときは、いわゆる「人権派弁護士」が、「復活の儀式」とか、「母体回帰」などという荒唐無稽な主張をしてまで死刑を回避しようとしていたが、今回の事件では、「被害者が一人なのに死刑はおかしい」という意見は聞いたことがない。
 なお、私は死刑制度には賛成である。殺人という最大の人権侵害をしておいて、加害者は「更生」の美名のもとに守られる。これほど理不尽なことはない。しかし、この事件では疑問を感じざるを得ないのである。やはり、命の重さには差があるのだろうか。イデオロギーによって命の重さは変わるのだろうか。

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