欠けているもの

 『産経新聞』8月24日に「【社説検証】終戦記念日 国のかたち憂えた産経 朝日は今年も嫌日路線」という記事がある。

 「国民の4人に3人は戦後生まれになり」(日経)、「当時10歳前後の少年少女は今や、70代半ばにさしかかっている」(産経)-。64回目となる終戦記念日は、日本の国のありようが大きく転換するかもしれない政治決戦の真っただなかで迎えた。それだけに今年は、鎮魂に頭(こうべ)を垂れ過去を顧みるだけでなく、祖国の行く末にも思いを馳(は)せた人が例年以上に多かったのではないだろうか。

 日経を除く4紙が大型社説を掲げた。産経と読売がくしくも、「欧州情勢は複雑怪奇」の声明を出して総辞職した平沼内閣の例を挙げ、「当時の日本の指導者たちは世界の情勢を見誤っていたのは明らかだろう」(読売)などと、国のリーダーには国際情勢を見極める目が必要なことを示唆した。今度の総選挙を多分に意識したものといえよう。

 産経は、現下の国際情勢として具体的に、膨張し続ける中国の軍事力に触れ、「中国海軍高官が米中で太平洋を東西に分割管理しようと提案したことが空想とはいえなくなる」と、日本の周辺環境の危うさを指摘した。“次期政権”の目を開かせたいとの思いが伝わる。

 「お国のために何でもやる。そんな教育に従って生きてしまった気がする」「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火…。軍命とはいえ、罪の気持ちはある」などと、元日本兵の声の紹介にかなりの紙数を費やした朝日の社説は、いうなれば“定番”であり、同紙は昨年8月15日付の社説でも「日本兵は赤ん坊を刀で突き刺し、女たちに手を出したんだ」との中国人の言葉を紹介していた。戦争の残虐性や悲惨さを訴えるのも大事なことには違いないが、それだけを強調しすぎると、日本人に「嫌日感情」を植え付ける結果となり、日本の将来にとってけっしてプラスとはならないだろう。

 異色だったのは毎日だ。「終戦記念日に際して」と題されてあったが、主見出しは「『打たれ強い日本』に」で、一瞬、虚をつかれた感じだった。「終戦記念日の主張として、日本を低エネルギー消費の国にしようというのは、やや奇異に映るかもしれない」と前置きしたうえで、戦時中の人造石油の話なども織り交ぜ、全編これエネルギー問題という「未来展望型」の社説となっている。自虐史観から抜け出せない朝日の社説とは、ある意味で好対照といえるかもしれない。
 
 日経は「不屈の精神で経済復興を成し遂げた日本だからこそ、国際社会で果たすことができる役割があるはずだ」と、先人の苦難をしのぶとともに、日本の役割をうたった。産経も同様に「豊かな国を見事に築き上げた」と先人をたたえる。しかし同時に、「絶対的な無防備平和主義がまかり通ったのは、国家主権の行使を縛る憲法第9条によるといえる。『国のかたち』が不備だった」と、戦後復興の陰で「肝心の国のかたちは抜け落ちてしまった」ことを悔やんだ。ただ「心を一つに力を合わせ国家の心棒を立て直すことが現在と将来の危機を乗り切る原動力となる」との処方箋(せん)も示している。

 靖国問題に関しては読売だけが直接的に言及し、「国立追悼施設建立に向けての議論は、勢いを増していくだろう」「国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているのではないだろうか」と、暗に同施設の建立を促した。さまざまな議論があるなかで、国のために尊い命を犠牲にした英霊はどのように望んでいるのだろう。英霊の声なき声に耳を傾けることを忘れてはなるまい。鎮魂とはまさにそういうことであり、今後も変わらず「死者の思いを考える8月15日でありたい」(産経)と思う。(清湖口敏)


 朝日、産経とも典型的な主張であろう。 今回、私が注目したのは、朝日の社説における、「元日本兵」の証言というものである。『「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火…。軍命とはいえ、罪の気持ちはある」など』とある。これは単なる軍律違反ではないか?その「元日本兵」というのは単なる殺人魔、強姦魔ではないか?こういった兵士は軍法会議にかけられ、厳正に処分されるはずである。
 現代の日本において、戦争を語り継ぐ場合、必ず「戦争の悲惨さ」に触れねばならないという空気が蔓延しているように思える。戦争の悲惨さだけに触れるだけでは、産経も言っているように、「嫌日感情」を植え付けるだけである。
 現代の日本において戦争を論ずる場合、欠けているのは、「戦争とは何か」という基本的な議論である。戦争とは何かを知らずに戦争を論ずるのは不可能である。
 無論、戦争とは、「人殺し」といった短絡的な考えではない。フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』によれば、戦争とは「他の手段による政治の延長」である。政治と戦争は切っても切れない関係にある。
 そして、日本における戦争の議論において、一番欠けていると思うものが、「戦争には相手が必要である」ということである。
 戦争は一人ではできない。この当たり前のことが欠けているのだ。相手を抜きにして戦争を論ずることはできない。「ハルノート」を見ればそれがよく分かる。

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この記事へのコメント

落武者
2009年08月29日 21:59
日本兵といっても、朝鮮出身の元日本兵も沢山いるわけで、お金で買収された偽証言も多いと想像しています。特に、特亜3国からの真実の証言はないと考えた方が良いかもしれません。
2009年08月30日 09:53
 落武者さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
 すべての日本兵が罪を犯さなかった、と言うつもりはありません。それは現代の社会でも犯罪が起こるのと同じかと思います。
 小林よしのり氏も言っているように、「深刻ぶった物言いこそが戦争の語り口を平板にして、若者に戦争を考えることの退屈さを思い知らせる原因」になっているかと思います。
 戦後60年以上が経過し、戦争体験を聞くことは貴重なのですが、嘘かもしれないと考えると、身構えてしまうのが悲しいです。

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