教育に「強制」は不要か?

 『しんぶん赤旗』10月2日に、「「良心の自由」原告訴え 東京高裁「君が代」不起立訴訟結審」という記事がある。
 卒業式などで「君が代」の起立斉唱を命じた職務命令に従わなかったことを理由に、東京都教育委員会が嘱託を不採用にしたのは違憲・違法だとして、元都立高校教職員13人が損害賠償を求めた裁判の控訴審が1日、東京高裁(稲田龍樹裁判長)で結審しました。原告側は「思想・良心の自由」を訴えました。

 都教委は2003年、都立学校の卒業式などで「日の丸・君が代」を強制する「10・23」通達を出しました。

 原告の社会科の元女性教師(58)は、同通達とそれに基づく校長の職務命令が「私の歴史観、教育観と相いれず、教師としての良心を踏みにじるものであり、どうしても従えなかった」と陳述しました。

 同原告は、日本が悲惨な戦争を許してしまった理由として(1)国民の思想・良心の自由を認めず、反対意見を圧殺した(2)学校教育が積極的に戦争を担ってきた―など3点を指摘。「自分で考え、行動することが大切」だと教えてきたという同原告は「そんな私が生徒の前で(「君が代」斉唱に)立つことはできない。それは戦前の教師のおかした過ちを繰り返すことにほかならない」と訴えました。

 弁護団は「『個人的歴史観等』を保障するのが憲法19条にほかならない」とのべ、通達は19条の「思想・良心の自由」を侵害し、旧教育基本法10条の「教育行政の不当な支配」にあたり、違憲・違法であると指摘。嘱託不採用は都教委の裁量権の逸脱、乱用だと改めて主張しました。

 東京地裁は08年2月の一審判決で「都教委が裁量を逸脱、乱用した不法行為」と認定。一方、職務命令は「合憲」と判断しました。

 判決は来年1月28日の予定です。


 このような教師は、自分たちに都合の良い歴史観については、「思想・良心の自由」を錦の御旗の如くに振りかざしておきながら、それと相反する歴史観には「靖国派」とか、「歴史修正主義」、「軍国主義者」などと、ろくろく検証もせずにレッテルを張り、「言論の自由」を弾圧している。
 私は、教育にはそれなりの「強制」が必要であると考える。無論、ここで言う「強制」とは、教師が、どこかの国の指導者のように、絶対的な権力を握ることを指すのではない。屁理屈かもしれないが、「強制」が駄目ならば、「教科書の何ページを開いて」とか、「何時間めの教科は・・・」、「今日の宿題は何々」というものまで「広義の強制」になってしまうではないか。例えば、大学入試ではそれぞれの教科の範囲(数学ではⅢCまで、など)が指定されたりするが、「強制するな」と言っても誰も聞いてはくれない。そんなことをしては秩序が保てないではないか。嫌ならば受験をあきらめるしかない。
 「押し付け」や「強制」が駄目ならば、この教師たちはどのように授業をしているのだろうか。仮に授業中、生徒が走り回っていたとしても、席に着くことを「強制」させることは出来ない。「何ページの問題を解け」ということも出来ない。
 ぜひとも、原告の教師が勤める学校の生徒諸君は授業中に騒ぎ、注意されたとしても、「思想・良心の自由」を訴え、「静かにすることを強制するのか」などと反論して欲しい。

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    Excerpt: 戦後、現在に至るまで、特亜3国が非難している大東亜戦争における日本軍の蛮行として、南京大虐殺、中国での蛮行、強制連行、従軍慰安婦問題、そして靖国神社問題などがある。 Weblog: 風林火山 racked: 2009-10-04 03:22